プロフィール

はじめまして、
受容力フォーカスメソッドカウンセラーの奈々です。

仏教 × ヨガ哲 学 × 心理学
これまで1,300人以上の心と身体をサポート

アダルトチルドレン・愛着障害・HSPの生きづらさを感じている方
カウンセリングをしています。

☑ 自分に自信が持てない
☑ 自分の意見が言えず、周囲に合わせてしまう
☑ 4人以上での会食後はドッと疲れている
☑ 自分から他人と親密な関係を築こうとしない
☑ 一つ嫌なことがあると、人でも会社でも簡単に縁を切ってしまう

実はコレ、全て過去の私です。

私の経験が、あなたにとっての生きるヒントになれば幸いです。

卒園の日、先生からの最後の言葉が40年に渡るトラウマに。

幼稚園を卒園するその日まで
私はとてものびのびと
自信満々に過ごしていたようです。

ところがその日を境に
性格が一変してしまう出来事がありました。

卒園式が終わったあと
組ごとにお別れ会があって、
先生が一人ずつに言葉をかけてくれました。

ついに私の番がきた!

待ちわびた私に先生から放たれたのは、
「もう少しお友達にやさしく教えてあげられるといいね」でした。

注意された…

みんな褒められたのに、
私だけ注意された。

先生に嫌われた、
そう感じました。

3年間で一番好きな先生でした。
その大好きな先生から最後の最後に嫌われてしまった…

心が張り裂ける、
とはこういうことを言うのでしょう。

あまりのショックに
どんな顔をしていいのかもわからず、

泣きたいような
恥ずかしくてその場に居たくないような
そんな気持ちを今でもよく覚えています。

先生のその“注意”に心当たりはあるのです。

細かいことに気が付きすぎる私は、
友達の名札忘れや落とし物、
当番をサボっている子にも
すかさず指摘するような子でした。

先生はそんな私がこの先行き過ぎないよう
心配をしてくれていたのでしょう。

でも…、

でもーっ

傷つき過ぎる性質と
傷ついていないふりをしてしまう私は、

このトラウマをその後40年に渡り、
一人で抱えることになったのです。

すっかり自尊心を失って無邪気になれなかった小学校時代。

卒園の日のあの傷が癒えぬまま
小学生になりました。

どこか胸を張れず、
うつむくことが多くなっていたように思います。

人気の先生に向かって、
無邪気にワーッと駆け寄るなんて
とてもできませんでした。

仲良しになったお友達にさえ
反応を気にしながら遠慮がちに話してしまう。

嫌われないように
仲間外れにされないように空気を読む、

そんな習性がすっかり身についていました。

そんな風に中学校へとあがったある日の朝、
事件は起こりました。

借金取りが来た、こんなこと恥ずかしくて誰にも言えない…。

家族で朝食をとっていると、
玄関をドンドンドン!と叩く音が。

「貸したお金返してください!」

訪ねてきたのは父親の後輩で社員。
父親が応対し、すぐにどこかへ出かけていきました。

母親は私たち姉弟に食事をすすめますが、
喉を通るはずがありません。

中学生にもなれば、
うちの中の事情もある程度理解しています。

当時、父親は独立起業したばかりで
すぐには軌道に乗らず、
家計は苦しそうでした。

父についてきた後輩に
お給料が出せないどころか、
お金を借りていたのでしょう。

催促されるのは仕方がありません。

ただ多感な時期ですから、
目の前の出来事にただただ心が揺さぶられます。

ご近所に対しての恥ずかしさや
これからどうなるのかという不安感から
ネガティブな妄想は膨らむばかり
です。

借金取りがきた、
って噂になってしまったらどうしよう…

進学とか絶望的なのかなぁ…と

ガッカリしては悲しくなり、
泣きたいような、
怒りたいような気持は解消されることなく

次第に父親への苛立ちや
恨みの感情となりました。

それはまるでドロドロしたマグマのように、
心を埋め尽くしていったのです。

父親の感情の起伏に対してマグマ噴出!
ついにおとずれた遅くて長い反抗期。

父はもともと気分屋で、
感情のコントロールができないところがあります。

父の父を1才の時に亡くしているため
父親像やその愛を知らずに育ちました。
また忙しい母親に十分に甘えることもできなかった。

そのことは父親のひととなりに
大きく関わっているはずです。

妻や子とスムーズな人間関係が築けないのも仕方がなく、
本来責められません。

問題は、連鎖するということです。

私と父親との関係は希薄で、
いつもどこか牽制し合っています。

友達と遊んで帰るときは、
遅い時間でなくともにわかに緊張します。

難癖を付けられるのも付けられないのも
父のその日の気分次第でしたから。

短大入学後、間もない頃のことです。

何かを買って欲しい、なんて
思春期以降言えませんでしたが、
この時は勇気を振り絞って車をねだりました。

滅多にないおねだりに気を良くしたのか、
約束はしてくれましたが、
そこは気分屋の父のこと。

「赤い車ね」の約束はどこへやら
白い車の話が勝手に進められていました。

赤だ、白だとお互いに意地を張り、
結果として話は白紙に。

当たり前と言われればそうです。

でもこの時の憤る気持ちが、
これまでのマグマを噴火させるきっかけとなってしまったのです。

激昂する父が怖い、
でももう従えない、
という強い反発心はその後何年も消えず、

かくして遅くて長い反抗期となったのです。

やり場のない気持ちをただぶつける他にすべもなく
真っ向から反発する日々。

私もまた感情制御不能な人となりました。

同じことの繰り返しが苦手で仕事が長く続かない。

比較的容量が良く仕事を覚えるのは早いため、
社会人として信頼されやすかったと思います。

なのに、13年間で転職5回の経歴があります。

なぜか。

私はずっと建築・インテリア系の仕事に就いてきました。

ある設計事務所に勤めた時のことです。
その事務所は、
ビルや工場の構造図面というのを描く事務所でした。

初めは大きな建物の設計に携われることに
やりがいが感じられたし、
覚えることが多いほど新鮮な気持ちでした。

しかし毎日夜10~11時まで残業するのが
当たり前の業界です。
仕事だけで一日が終わっていくのが
心身共に辛くなっていきます。

仕事も覚えてしまえば、
似たような図面と向き合う
似たような日々の繰り返し…。

これが一生続くのかと思うとやりがいどころか、
うんざりした気持ちになり他のことを考え始めました

もっと違う会社なら…

やりたいことと違うような気がする…

そんな考えに夢中になり過ぎて、
まさに“心ここにあらず”。

当然ミスをします。
ミスを指摘されることが必要以上に恥ずかしく、
(周囲の反応を気にしすぎる性質のため)

さらには他の人の手を借りて修正しなければ
納期に間に合わない、
なんて状況になろうものならもう居たたまれません。

環境をリセットしなければ
前向きな気持ちも明るさも取り戻せないのです。

親密な人間関係が築けなくて仕事が長続きしない。

その場の空気や他人の気持ちを
自然に察知しています。

新しい職場ではこの習性がとても役立ちます。

親しみやすい印象をもってもらえるし、
早くその場に溶け込むことができるから。

でもどこかで一線を引きたいし、
全てをさらけ出すことは難しい、
そんな気持ちも持ち合わせています。

ランチもおやつタイムも飲み会も
ヨガに通うのも一緒、
なんてできないんです。

最初は合わせていてもだんだん疲れて、
表情がなくなっていく、
自由が失われるような気持ちにさえなります。

職場で親密な関係を求められのがツラいのです。

そのうち「私の居場所はここじゃない」と。

自分で自分を追い込んだり、
ちょっとしたことで急に何かを終わらせる、

この性質も相まって仕事が長く続けらなかった。

そんなこんなで転職は13年間で5回、なのです。

転職で身に付いたのは間違ったプライドでした。

その頃の私は、
自分の本当の姿を直視することも
受け入れることもできていませんでした。
(その方法を知らなかったという方が正しいのですが、)

キャリアアップしているつもりでいたし、
それこそが自分を高めることになるんだ

という考えに取りつかれていたのです。

今思えば、転職するたびに得られたのは
キャリアというよりは、
独りよがりの価値観と間違ったプライドでした。

自分一人の力で頑張ってきた、とか
自分が正しくて正義なんだ、とか…。

この価値観とプライドで、
どんどんと自分の心ががんじがらめになっていった、

そう気が付いたのはだいぶ先になってから。

結婚相手は17才年上、しかもお坊さん。

夫とは、ある会社で出会いました。

会社で出会ったら普通、
普通の会社員ですよね。
でも彼はその傍らで実家のお寺の
”お坊さん”をしていたんです。

いわゆる兼業ですが、
知らされた時の衝撃と言ったら、笑。

17才年上だからなのか、職業柄なのか
とても大らかで気持ちの穏やかな人です。

どんどん惹かれていき、
お寺、年の差、バツイチ、
なんていうハードルを飛び越えて結婚に至りました。

夫も拠点をお寺に移すタイミングだったため、
私たちはお寺の住職とお庫裏さんとして
新婚生活をはじめたのです。

ここでは誰も私や私のバックグランドを知らない、
という気楽さがありました。

その代わり、これまでのキャリアも通じません。

早く嫁として認められなければ、
この土地にもっと馴染まなければ、と
思えば思うほど、

「○○でなければ、」「普通××でしょう」

という思考回路に陥りました。

自分の価値観が正解で正義、そう思っていたのです。

だから、
強引な方やズケズケと踏み込んでくる方のことで
夫に愚痴を言うことも少なくありませんでした。

とはいえ、実家との物理的な距離が
父親に対するイライラをも遠ざけたのでしょう。

また年上の夫は父親とは違ってとても大らか、
そんな人との暮らしのおかげで、
安定や安心を感じることができました。

あの日までは…

心理学と出会って気づいた。
思い通りにならないことを思い通りにしようとするから苦しいんだ。
相手の心の変化は相手が起こすもの。

それは結婚して5年が経ったころの出来事です。

独立していた義理の息子の結婚話が浮上しました。

おめでたい話に大問題が一つ。
お相手のご両親が猛反対していると言うのです。

反対する理由は寺・私たちの再婚・遠方であること等々
いろいろとあるのでしょう。
それは相手方の問題です。

なのに、私は勝手な想像を膨らませては
疑念や反感を抱いて悶々としていました。

「○○でなければ」「普通××でしょう」の発動です。

こんなに考え方が違う家族同士で、
この先親戚関係が築いていけるのだろうかと

完全に一人で先走りました。

自分の思い通りにならない事で
頭も心も埋め尽くされる日々は苦しかった。

夫や義理の息子にぶつけても
一向にラチが明かない。

そこで一念発起、
仏教学からヨガ哲学、そして心理学の中に
答えを探し求めたのです。

個人的な価値観をぶつけても
相手の心の城壁を砕くことはできない。

それどころか跳ね返ってくれば
こちらがケガ負う羽目になる。

相手の心の変化は、
相手が起こすより仕方がないのだろう。

ということが腑に落ちるまでに相当時間がかかりました。

それは私の“間違ったプライド”によって
心ががんじがらめになっていたためです。

自分を苦しめるような
そんなプライドならもう要らない!と、
この時ようやく“鎧”を脱ぎ去ることが出来たのです。

もちろん悩みや苦しみが
ゼロになったわけではありません。

でも人や物事に対する受け止め方、
または“受容力”は大きく成長を遂げたと実感しています。

悩み多き人生から命を輝かせる人生へ。

その後本格的に心理学を学びました。

・安心と受容の土台の作り方
・一瞬でストレスを解消する方法
・人間関係のすれ違いをなくすには
・トラウマを解消する方法

など様々なワークによって、
今までフタをしてきた感情に
向き合いました。

次第に心のゆとりや自身、視野の広がりが生まれ、

幼心に負ったトラウマに対しても目を背けることなく
受容することができるようになりました。

人としてのベースや心のしなやかさが備わった今、
もう他人の言動に右往左往することはありません。

そんな実感をもとに、
カウンセラーとして多くのお客様にセッションを行っています。

完璧じゃなくていい。

ただ、あなたの人生を

他人の目を気にしてばかりの悩み多き人生から、
“自分軸”を大切にしながら命を輝かせる人生へ

そうシフトさせられるのはあなたしかいない。

そのお手伝いができればと思っています。

私自身も時間の有限性をひしひしと感じる年頃ですが、

一人で悶々と過ごすのか

誰かに打ち明けて
サッサともやを晴らしてしまうのか、

どちらを選ぶのがいいのかは
みなさんも想像に難くないと思います。

✔ どうしても忘れられないトラウマがある
✔ 人間関係でいつも悩んでいる
✔ もっと私らしく生きたい

または、
✔ もしかして自分にもカウンセリングが必要なのかも
✔ カウンセリングで少しでも楽になるのなら

などの思いがよぎったとしたら、
一度「お試しカウンセリング」にお申込みくださいね。

誰もがそれぞれの命を輝かせて生きることができる、
そんな世界になるよう願いつつ。